Idei-to-day

2010年12月01日~Idei to Day ライブ盤 Part2 ~

今回も、さまざまな場や機会で話した日本の教育に関する問題について「生」の発言をまとめました。
◆11月19日(金):某新聞の教育に関するインタビュー
◆11月22日(月):日本学術会議シンポジウムでのパネリストとして登壇
<教育界と産業界の致命的なズレ>
◎ 就職氷河期などと言われているが、本質的に、教育現場と、産業界が必要とする人材のズレが問題の根本にある。日本は戦後の製造業を中心とした成長期を過ぎて、すでに成熟国となり、就業人口の7~8割はサービス産業に従事している。20世紀には、労働集約型の製造業が国の成長を支えていたから、指示されたことを平均的にきちんとこなす人材が大量に求められていたので、和を大切にし、周りと協調し、マニュアルに忠実にアウトプットするメモリー型教育でよかった。
◎しかし、20年くらい前から世界全体の産業構造が大きく変わった。例えば半導体やITシステムの構築などの産業は、韓国やインド、中国などのアジアの国の企業に、安くアウトソースできるようになった。メーカーがすべてを作る垂直統合から、水平分業に変わってしまったので、今、日本の企業は、肥大化しすぎた自社工場や生産設備など抱え過ぎた資産をスリムダウンしようと必死になっている。
◎ 成長期を過ぎ、成熟国となった国は、知識集約型経済へと変質する。たとえばアップルもユニクロも自社工場は持っていない。企画、設計、デザイン、R&Dといった部分は自国内で行い、製品は最も安い国で作り、世界中で売っている。そういう時代に必要なのは、クリエイティビティのある人材、現状の課題について仮説を立て、解決方法を自主的に考えることができるソリューションタイプの人材だ。残念ながら、今の6・3・3・4制の教育は、相変わらずメモリー型人材を輩出している。
◎そもそも4択から正確の1つを選ぶことに、どんなに長けていても、実社会に出てみれば正解など、どこにも存在しないのだ。
<教育の「失われた20年」>
◎ 最高学府の大学のほとんどが、140年くらい前の明治維新前後に設立された。旧制中学の時代のほうが、今でいう中高一貫教育が行われて、質の高い教育がされていたと思うが、戦後、アメリカから6・3・3制を押しつけられ、受験戦争をうみ、そして今、大学そのものが企業として生き残りをかけて、受験者数を増やすといったことばかりに注力して、教育の中身そのものの改革を後回しにしてしまった。
◎1990年に、日本では人口増が止まり、都市への人口流入が止まり、明らかに産業構造変化の分岐点となった。にもかかわらず、21世紀も10年過ぎた現在でさえ、あいかわらず大学では、シニア層の先生方が、これまで通りの20世紀型メモリー教育を行っているのでは、教育分野の「失われた20年」だ。今の教育が、10年後、20年後のその国の経済成長を決める。これは、もはや制度疲労ではないか。
<リスクをとらない学生は、自分の人生を自ら“放棄”している>
◎ 学生というものは、現時点で優良な企業、大きな企業に入ろうとする。今の大学生は、特にその傾向が強いらしいが、もし私が、今、大学生だったら、ソニーは選ばず、もっと将来性のありそうなベンチャー企業を探していたかもしれない。そもそも私がソニーに入社したときは、社名を変更したばかりの町工場で、技術はあるが、人材がいない、そしてヨーロッパでこれからビジネスができそうだ、ということで選んだ。
◎たとえば、グーグルが今のような状態で10年後に存在するだろうか? そもそも今日の大企業が10年後も同じように安定だと誰が保証できるのか。今、隆盛を極めている会社は衰退するのは目に見えている。それより、これから先は何か、という仮説を自分でたて、リスクをとる心構えがなければ、自分の人生を放棄しているようなものだ。景気が回復するのを待つ、雇用情勢が変わるのを待つ、といった態度ではこれからのグローバルな世界では通用しない。そもそもOECDが公表している若年層(15歳~24歳)の失業率を見ると、日本は実は加盟国中でも最も低い方なのだ。
<理系、文系共通のOSがベンチャースピリットを生む>
◎ 「文系」「理系」という分け方は、おそらく明治維新前後に大学が創立ラッシュとなったときから始まったのだと思うが、そもそもこの分け方が就職時に大きく左右するという事態がおかしいと思う。アメリカの大学ではダブルメジャーの学生も多い。マネジメントということを考えてみても、文系の知識だけでも理系の知識だけでもない。経営はArtとScienceの組み合わせである。また日本には、協調的で平均的なアウトプットを出す人材を育てることはしてきたが、「とび級」といったようなエリートを育てるような仕組みはできていない。知識集約型の経済になれば、天才やエリートの「個のパワー」が必要になってくる。今こそ、新しい教育システムを抜本的に考え直すべきではないか。
◎ひとつの案として、教育の共通OSを構築するというのはどうだろうか。文系か理系かは、あくまでアプリケーションであって、OSにあたる「学び」の基本姿勢、つまり課題設定し、仮説をたて、それを証明していく真理を求める、応用より理論を求める教育を土台にし、その上で専門分野の教育を足していく。ハーバードビジネススクールのケーススタディ的な学問も、すでに限界がきている。ケースを抽象化しても、今のような複雑系の社会では現実問題の解決策とはなりえないからだ。また今の産業を後追い教育しても、10 年後、20年後には通用しない。グーグルやfacebookなどのIT情報化社会の、その先に来るものを探求しなければならないのだ。もはや手本はない。新しい教育システムを再構築しなければならない。
◎この共通OSこそ、新しい産業のイノベーションを生み出すベンチャースピリットを支える土台であり、技術面のR&Dであれ、マーケティングであれ、個人のクリエイティビティを発揮するための基本となるはずである。
(ご意見・ご感想はこちらへ → info@qxl.jp)

今回も、さまざまな場や機会で話した日本の教育に関する問題について「生」の発言をまとめました。

◆11月19日(金):某新聞の教育に関するインタビュー

◆11月22日(月):日本学術会議シンポジウムでのパネリストとして登壇

教育界と産業界の致命的なズレ

◎ 就職氷河期などと言われているが、本質的に、教育現場と、産業界が必要とする人材のズレが問題の根本にある。日本は戦後の製造業を中心とした成長期を過ぎて、すでに成熟国となり、就業人口の7~8割はサービス産業に従事している。20世紀には、労働集約型の製造業が国の成長を支えていたから、指示されたことを平均的にきちんとこなす人材が大量に求められていたので、和を大切にし、周りと協調し、マニュアルに忠実にアウトプットするメモリー型教育でよかった。

◎しかし、20年くらい前から世界全体の産業構造が大きく変わった。例えば半導体やITシステムの構築などの産業は、韓国やインド、中国などのアジアの国の企業に、安くアウトソースできるようになった。メーカーがすべてを作る垂直統合から、水平分業に変わってしまったので、今、日本の企業は、肥大化しすぎた自社工場や生産設備など抱え過ぎた資産をスリムダウンしようと必死になっている。

◎ 成長期を過ぎ、成熟国となった国は、知識集約型経済へと変質する。たとえばアップルもユニクロも自社工場は持っていない。企画、設計、デザイン、R&Dといった部分は自国内で行い、製品は最も安い国で作り、世界中で売っている。そういう時代に必要なのは、クリエイティビティのある人材、現状の課題について仮説を立て、解決方法を自主的に考えることができるソリューションタイプの人材だ。残念ながら、今の6・3・3・4制の教育は、相変わらずメモリー型人材を輩出している。

◎そもそも4択から正確の1つを選ぶことに、どんなに長けていても、実社会に出てみれば正解など、どこにも存在しないのだ

教育の「失われた20年」

◎ 最高学府の大学のほとんどが、140年くらい前の明治維新前後に設立された。旧制中学の時代のほうが、今でいう中高一貫教育が行われて、質の高い教育がされていたと思うが、戦後、アメリカから6・3・3制を押しつけられ、受験戦争をうみ、そして今、大学そのものが企業として生き残りをかけて、受験者数を増やすといったことばかりに注力して、教育の中身そのものの改革を後回しにしてしまった。

◎1990年に、日本では人口増が止まり、都市への人口流入が止まり、明らかに産業構造変化の分岐点となった。にもかかわらず、21世紀も10年過ぎた現在でさえ、あいかわらず大学では、シニア層の先生方が、これまで通りの20世紀型メモリー教育を行っているのでは、教育分野の「失われた20年」だ。今の教育が、10年後、20年後のその国の経済成長を決める。これは、もはや制度疲労ではないか。

リスクをとらない学生は、自分の人生を自ら“放棄”している

◎ 学生というものは、現時点で優良な企業、大きな企業に入ろうとする。今の大学生は、特にその傾向が強いらしいが、もし私が、今、大学生だったら、ソニーは選ばず、もっと将来性のありそうなベンチャー企業を探していたかもしれない。そもそも私がソニーに入社したときは、社名を変更したばかりの町工場で、技術はあるが、人材がいない、そしてヨーロッパでこれからビジネスができそうだ、ということで選んだ。

◎たとえば、グーグルが今のような状態で10年後に存在するだろうか? そもそも今日の大企業が10年後も同じように安定だと誰が保証できるのか。今、隆盛を極めている会社は衰退するのは目に見えている。それより、これから先は何か、という仮説を自分でたて、リスクをとる心構えがなければ、自分の人生を放棄しているようなものだ。景気が回復するのを待つ、雇用情勢が変わるのを待つ、といった態度ではこれからのグローバルな世界では通用しない。そもそもOECDが公表している若年層(15歳~24歳)の失業率を見ると、日本は実は加盟国中でも最も低い方なのだ。

理系、文系共通のOSがベンチャースピリットを生む

◎ 「文系」「理系」という分け方は、おそらく明治維新前後に大学が創立ラッシュとなったときから始まったのだと思うが、そもそもこの分け方が就職時に大きく左右するという事態がおかしいと思う。アメリカの大学ではダブルメジャーの学生も多い。マネジメントということを考えてみても、文系の知識だけでも理系の知識だけでもない。経営はArtとScienceの組み合わせである。また日本には、協調的で平均的なアウトプットを出す人材を育てることはしてきたが、「とび級」といったようなエリートを育てるような仕組みはできていない。知識集約型の経済になれば、天才やエリートの「個のパワー」が必要になってくる。今こそ、新しい教育システムを抜本的に考え直すべきではないか。

◎ひとつの案として、教育の共通OSを構築するというのはどうだろうか。文系か理系かは、あくまでアプリケーションであって、OSにあたる「学び」の基本姿勢、つまり課題設定し、仮説をたて、それを証明していく真理を求める、応用より理論を求める教育を土台にし、その上で専門分野の教育を足していく。ハーバードビジネススクールのケーススタディ的な学問も、すでに限界がきている。ケースを抽象化しても、今のような複雑系の社会では現実問題の解決策とはなりえないからだ。また今の産業を後追い教育しても、10年後、20年後には通用しない。グーグルやfacebookなどのIT情報化社会の、その先に来るものを探求しなければならないのだ。もはや手本はない。新しい教育システムを再構築しなければならない。

◎この共通OSこそ、新しい産業のイノベーションを生み出すベンチャースピリットを支える土台であり、技術面のR&Dであれ、マーケティングであれ、個人のクリエイティビティを発揮するための基本となるはずである。

(ご意見・ご感想はこちらへ → info@qxl.jp

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