

今回は、デサインに関する考え、産業におけるデザインの位置づけや重要性について「生」の発言をまとめました。
個人的に車が大好きだし、車のデザインこそ、プロダクトデザインの最たるものだと思うので、まず車について考えたい。今、日本の道路を走っている車で、個性的な日本車があるだろうか? 車についているロゴマークをつけ替えたら、どこの車かわからないのではないかと思うくらいに似ている。メーカーごとに車種も多いし、韓国車との区別も難しい。
これに反して、ドイツ車はどうだろう。BMW、アウディ、メルセデス・ベンツ、ポルシェ・・・どれも走っている姿を見かけるだけで、すぐわかる。一目で個性がわかるデザインになっているからだ。
日本車がこのような「どこでも同じ」に見えるようなデザインになってしまったのは、商品のコモディティ化が加速してしまったからだ。いかに効率的に量産するかを追い求めた結果である。これは車に限らず、製造業全体の潮流で、中国や韓国などに対抗するために、市場シェアを確保するためのマーケティングを行うと、どんどん商品がコモディティ化するのは、当然の帰結である。
しかし、日本はこの潮流に巻き込まれてしまって、将来のビジョンはあるのだろうか。
そもそも「マーケットシェアが大きいほどよい」という規模を追う考え方自体が、産業革命後20世紀までの古い考え方ではないかと思う。日本は量的なマーケティングに注力してきたが、今は世界規模で産業構造が変化してしまった。世界の工場としての立場は中国や韓国ほかアジアの成長国にとって代わり、成熟国となった今、世界市場を考えたとき、日本の立ち位置を考え直さなければならない。
そこで参考になるのが、ヨーロッパのファッションブランドの戦略である。彼らはデザインで個性を主張したクオリティの高いものを少量生産する。それでブランドを確立し、世界中で「手に入れたい」と思うものを売り、確実に利益を上げている。考えてみてほしい、日本の経済誌や新聞の産業欄などは日本企業のマーケットシェアについての記事が大好きだが、誰がエルメスのバッグのマーケットシェアを気にするだろうか。
最近、車を見ても、時計を見ても、日本のトップメーカーが、製品の性能に対して、首を傾げたくなるようなデザインをしているな、と思うことがよくある。車好きが喜ぶようなとてもよいデザインをしているのに、エンジンが物足りない車とか、若い世代をターゲットとし、機能・性能ともに最先端の腕時計のはずなのに、デザインが90年代を引きずっているなど。これでは売れないだろう。何か商品のコンセプトとデザインが、ちぐはくになっている印象を受ける。これはデザイナー個人の問題ではなく、その会社の経営層のマネジメントの問題である。商品開発には、コンセプト、技術、デザインの黄金のトライアングルがあるが、その中心で全体をコントロールするのがマネジメントである。
成熟期に入ったからこそ、会社自身がこれからは、こういう製品を売っていくという「意思表示」をしなければならない。その会社の意思表示、つまり個性を主張するのに、もっとも有効な手段がデザインであると思う。
それは単に「個性的なプロダクトをデザインする」ことではない。会社としてのビジョンがあり、コンセプトがあり、それらを表現するテクノロジーがあり、その全体をまとめるものがコーポレートのデザインである。つまり、企業価値をどう作るかというデザインである。その価値は社会が認めたものでなければ意味がない。
これからの日本の企業は、これから会社をどうデザインしていくかが、生き残りをかけた勝負となる。
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